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magumaの日常を半強制的に知らしめるページ


by maguma55

つらつらと・・・

先日も書いたように、貴志祐介の『天使の囀り』という本を読んでいるんだが、凄く面白い。
推理小説のようでもあり、ホラーのようでもある、更には学術書のような所もあって、読み飽きないのだ。ストーリーは結構エグイんだが俺はそんなエグさが好きだ。
この本は主人公の彼氏でアマゾンに探検に行った高梨という人物が徐々に異常になっていく、そして、その原因を主人公がつかもうとする訳だが、いやあ、いいね。リアルだ。
高梨は元々タナトフォビア(死恐怖症)という兎に角しに対する恐怖が常人より強い人間だったのだが、アマゾンへの探検から帰ってきた後、そういった死に対する恐怖が薄れて、むしろ逆のタナトフィリア(死愛好症)になってゆくのだ。俺はこの本を読むまでタナトフォビアという言葉を知らなかったし、存在自体知らなかった。しかし、よくよく考えてみれば人間誰しも死を恐れていると思う。だって、夜道を歩いていて、ナイフを持った人間が道をふさいでこっちを見ていたら恐いはずだ。車を運転していて、法定速度を破り、例えば180km/h位で道を走っていたら恐いはずだ。例えば、グランドキャニオンの様な下が見えない様な切り立った崖で踊ってみるのも恐いはずだ。こういった行動を恐いと思うのは、要するに死への恐怖だと思う。何故なら何か一つでも物事が起こったり、ミスをしたりするとかなりの確率で死へと繋がる状況だからである。まあ、『死』と言ったものがどういったものなのか、俺は今まで死んだ事が無い(輪廻転生を信じている人は、死んだ事があるっていうかもね)から『死』といったものがどういうものか見当もつかない。まあ、大体のイメージはあるけども。しかしながら、タナトフォビアとまではいかなくても、俺も『死』に対するある程度の恐怖はもっている。まあ、これは人間である限り正常であろう。『死』への恐怖が全くない人間は、恐怖がある人間より高確率で死にやすくなるだろうし。とういのも、死を恐れないが故に、危険を察知出来ないからだ。恐らく、高速道路に出れば、車の限界までスピードを出すだろうし、動物園に行けば、熊でも虎でもまるで猫に接する様に近づいていくだろう。ということで、『死』に対する恐怖というのは、痛みと同様、一見疎ましいものに思えて、生きる為にも必要不可欠なのだ。『生』と『死』ってまさに表裏一体だね。
しかしながら、前述した本に出てくる高梨という人物の様に、必要以上に死を恐れる、タナトフォビアの様な状態になるとこれはこれでまた辛いだろう。「人間死んだ後どうなるのか」 「死ぬ瞬間というのはどういったものなのか」 「死とは一体何なのだろうか」といった感じに考え始めたら止まらなくなり、いいしれぬ恐怖に包まれるのだろう。俺は恵まれた事に、そんな恐怖に襲われた事は無いし、『死』について考えてもそこまで悩んだ事はない。やはり、タナトフォビアになってしまう人などは、繊細で、物事を突き詰めて考えるタイプで、感受性の強い人達なのだろう。あ、死について悩んだ事はないと書いたが、小学生位のときだったか、ばあさんか、お袋に関東大震災がもうそろそろくると言う話をきいて、一晩中泣いていた事があった。あれは所謂軽いタナトフォビアのような状態だったのだろうか。しかし、嬉しいかな、次の日には治っていた気がする。まあ、生まれつきあんまり物事に頓着しない人間なので、そういった点では恵まれているなあ。あんまり『死』に対して恐怖心を持っていないというのは、俺にとって『死』というものが現実的でないという事の現れであろう。ただ、死がいつ自分を迎えにくるかは分からないし、それを必要以上に怖がる必要も無いと思う。ただ死ぬタイミングが来たらそれを受けいればいいのだ。死を恐れていては何も出来ないし、無駄だと思う。生きている間に何かしら出来る事をしていればいいのだと思う。『死』というものは『生』と表裏一体だと思う。
by maguma55 | 2005-10-14 16:44